残照の強く降る
◇序◇
焼け付くような夏の日ざしが過ぎ去って十日あまり、まもなく北の王国イヴァリースは実りの季節を迎えるはずだった。
萌えるような木々の緑は、既に幾分か色褪せはじめていたが、忘れた頃に戻ってきた真夏の残照に照りつけられ、ぐったりと生気を失っているようにも見えた。ただ水辺の緑だけが、水の精霊達の恩恵を受けて、残暑にも負けず川面を吹き抜ける風にさらさらと揺れている。
王都ルザリアの城門から程近い街道沿い、川辺の木陰に二つの人影が佇んでいた。旅装束をゆるめて靴を脱ぎ、素足を水に晒して涼をとっている様子である。何の言葉を交わすでもなく半時以上も黙りこくったまま、せせらぎの音だけが空しく二人の間を流れては去ってゆく。
傍らでは二人が乗ってきたらしい大型の乗用鳥チョコボの黄色い冠が小刻みに揺れている。のんびりと青草をはんでいるその鳥の背を、人影の片割れの青年が、座り込んだままぬれた布でしきりに撫でてやっていた。
彼の淡い金色の髪は日に焼けてすっかりわら束のように白っぽくなっていたが、ようやく少年の時代を終えたばかりのその若々しい容姿には、人懐っこい表情が宿っていた。いまだ成長過程にある瑞々しい肢体を、何度も洗濯をして色が落ちたらしい水色の作業ズボンに包んでおり、何処かのギルドに所属する職人見習いと言ったふうにも見えた。
もう一方は木陰の石に腰を降ろし、なんとはなしに足を前後させて水をかき回している。一見すると子供っぽい動作だが、とてもそうは見えないのはその人物のまとうやや剣呑な雰囲気のせいであったろう。じっとりと汗のにじむような暑気の中、きっちりとした詰め襟のチュニックを着込んで平然としている。それだけでも十分異様なのだが、上品な紫紺の布地にははっきりと鎧の擦れた跡まであった。帯剣こそしてはいないが、見る者にはすぐそれなりの身分を持った騎士であると分かる。
すっきりとした鼻梁と長い睫毛に飾られた暗い色の瞳、そして首の後ろできっちりと纏められた癖のない金髪からもその育ちの良さが滲み出ていた。華奢に見えるその体躯を厚い布地で隠している青年貴族、といった風体であるが、但し真実は多少異なる。
チョコボの毛をさんざん整えて、やることがなくなってしまったらしいもう一方が布を放り投げて大袈裟に嘆いてみせた。
「あーあ、やっぱり暑い!水浴びでもしなきゃやってられないッ」
そのままごろんと横になる。だらしなく開いたシャツの襟を引っ張って風を通したりしながら、連れの方に視線を送った。返って来たのは川の水と同じくらい冷ややかな視線と言葉であった。
「好きにすれば良かろう」
あっさりと言い放ち、再び視線を落としてしまうと無表情な顔からはもう何の感情も読み取ることは出来ない。
「つれないなあ、もう」
「無駄口に付き合わす愛想は持っておらん」
「もったいない…」
軽い調子で顔を覗き込んでも、あからさまに視線をそらされる。それでもめげずに、あくまで軽い調子で半分独り言のように伸び切ったシャツの青年は喋っていた。
「わかった!そういうことね、成る程ね、はっはーん」
「…なんだ」
「一緒に入りたいならそういえばいいのに!」
おもむろにシャツを脱ぎ捨てる。突如目の前に裸の背中を突き付けられて、青年騎士は大いに狼狽した。
「な、なにを考えている、お前ッ」
「なにをって、水浴びに決まってるでしょ。好きにすればいいっていったのはそっちなんだから」
ベルトがかちゃかちゃと音を立てるに至って青年は顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「だからって、……その、こんな所で、…人をなんだと思っているッ!」
最後の方は悲鳴に近い。叫んだ後で思いきり回れ右をして「不快なもの」が目に入らないようにしている様はもはや滑稽ですらあった。
この青年騎士こと、聖騎士アグリアス=オークスは女性だったのである。
ややあって背後で水音が耳をくすぐった。呑気な声を上げたのはもちろん先刻の露出狂(?)、連れのムスタディオである。肩まで水に浸かって、川の中からアグリアスに呼び掛ける。
「気持ちいいですよー、やっぱ、一緒にどうです?」
「断る!」
あまりの即答ぶりが可笑しかったらしい。発作のような笑い声が弾けた。
「なにが可笑しい!!」
声を荒げると笑い声はさらに大きくなった。酸欠で苦しそうな声でムスタディオがささやいた。
「じょーだん、ですよ」
「………」
帯剣していればおそらく剣の柄で張り倒すぐらいのことはしていただろう。実は今日一日何度も何度も同じようなことがあったので、身の危険を感じたムスタディオがアグリアスの剣を預かってしまっていたのだった。
「くッ…」
空しく宙を掴んだ騎士の右手はやり場をなくして彷徨っている。腹立ちまぎれに掴んだのはこぶしより二回り程小さい石ころだった。手ごろである。
「え、ちょっと、ちょっとま…」
不届き者に制裁を加えるべくはなたれた石ころは、目的めがけてまっすぐ宙を走った。アグリアスの無言の制裁を避けそこねたムスタディオは、盛大な水しぶきを上げて水底に沈むことになった。
数秒後、沈んだ位置からやや下流に見覚えのあるおでこが浮上する。その生え際のあたりはほんのり赤くなっていた。
「あいたた、いきなり石を投げ付けるのはないんじゃないですかねえ、これって騎士道に反しませんか?」
この期に及んで軽口は忘れないらしい。アグリアスが無言で再び手近な石を掴むと、劣勢を悟ったムスタディオは水の中に潜って小動物のように隠れてしまった。
「俺丸腰ですぜ!降参、降参」
「いいから早く上がってこい、愚か者!風邪をひきたいのか?」
ムスタディオが一瞬意外そうな表情を浮かべた。
「なんだ」
「…いーえ」
だから好きです、小さく呟いて岸に向かって泳ぎ出す。
その呟きはせせらぎよりも小さなものだったから、アグリアスの耳には届かなかった。
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