残照の強く降る

 

◇1◇

「まったく、しようのない男だな、お前は」
上半身裸のままで髪に纏わリつく水滴を絞っている青年にアグリアスが乾いた布を差し出した。ムスタディオは布を受け取ると、ずぶ濡れの長めの髪に器用に巻き付けた。
「だって暑いんだからそれこそしようがないでしょう」
「だったら一緒に王宮に行って冷えた飲み物でも貰ってくれば良かったではないか。なにもこんな場所で油を売る必要はあるまい」
 二人の旅仲間、そして戦友でもあるラムザ=ベオルブは、現在王都に駐留している、ガリオンヌ領主ラーグ公の所有する騎士団「北天騎士団」の団長を務める彼の次兄ザルバッグに会う為にルザリアの王宮を訪れていた。他の仲間達も彼に同行していたのだが、アグリアスとムスタディオだけがこの川辺で仲間達の帰還を待っていたのである。
「王宮なんて堅苦しい所はご免ですよ。…アグリアスさんこそ、どうしてこんな所で待ってる、なんて言うんすか」
 アグリアスがやや鼻白む。どうやら聞かれたくないことだったらしい。だがそれには構わずムスタディオは女騎士との距離を詰めた。麦わら色の湿った髪が一房、裸の肩に落ちかかる。耐えかねて、アグリアスは視線をそらした。

 南のライオネル領を出奔してから、一行はラムザの提案で一路王都ルザリアに向かい長旅をしてきた。今朝になってようやく到着をしたはいいが、アグリアスが突然、ここに残ると言い出したのだ。一行は驚いたが、ラムザだけはその答えを予想していたかのようにあっさりと頷いて、諒承したのである。
 その後、ムスタディオはどうする?とラムザに問われて、思わず俺も残ると口走ってしまったのだ。王宮の中には興味もあったが、それよりも、かつては近衛騎士団の一員であったアグリアスが、王宮には登らないと言い張る、その理由が知りたかった。そうして、ラムザ達を見送った後二人きりになってから、ずっとその理由を尋ねようとしていたのだが、いつにもまして剣呑な雰囲気に気押されて機会を逸し続けていたのである。

「私事だ。お前には関係ない」
「ほら、またそういうつれないことを言う」
女騎士の整った顔を覗き込むようにしながらムスタディオは抗議した。くるくる表情を変える青年のアーモンド型の瞳に、今は真摯な光が棲んでいるのを見てとってアグリアスは小さく息をはいた。
「お前には分からない話だよ」
「分かるかどうかは聞いてみないと。でも俺は知りたいんです。ラムザに分かるのに、俺に分からないなんてのも悔しいし」
「なにを馬鹿なことを…ラムザに分かっているなどと、どうして言い切れる」
ラムザはラムザの、アグリアスにはアグリアスの「真実」がある。決してそれが同一である保証はなかった。ラムザはアグリアスの「真実」を想像して気を利かせただけのことだ。
 大体どうしてこの男は、アグリアスの懐にわざわざ飛び込んでくるのだろう。何の理由があってのことなのか、アグリアスには全く理解が出来ない。

「じゃあ、俺にアグリアスさんのホントのトコロを教えて下さいよ。ここだけの話、正直に」
「だから、なんで私がそんなことをお前に説明しなければならんのだ?」
声にいらだちが隠せない。それに対してムスタディオの答えは明解だった。
「元気がないから」
「…は?」
意外な言葉に思わず声を漏らしてしまう。
「ルザリアに来ることになってからアグリアスさん、ずっとふさいでるじゃないですか。喋らないし、笑わないし、考え事ばかりしてるみたいで」
「……」
自分はそんなにふさぎ込んでいただろうか。ここ数日の行動を省みてアグリアスは首をひねった。元々彼女は無口な質だし、厳格な騎士の家で生まれ育ち、冗談や軽口は大の苦手としている。だからこそ一行の中ではムスタディオと一番そりが合わないのだとこの生真面目な女騎士は思っていたのだが。
「私はそんなにふさいでいたか?」
「そりゃあ、もう。ずっと恐い顔のし通しでしたからね。もっともいつもけっこう恐いからあんまり分かんないけど」
言って再び笑ったが、アグリアスの表情に気付いて大口を閉じた。アグリアスは笑いもしなければ怒ってもいない。ただ、小さく眉をひそめていた。ムスタディオは姿勢を正してアグリアスに向き直った。
「だから俺、話聞きますよ。話したらスッキリするかも知れないし。出来ればはやく元気になって欲しいですから」
「…本当に、しようのない男だな」
アグリアスの険しかった眉がふと緩む。柔和な表情になると驚くほど美しい。ムスタディオの内心の動揺に気付かないまま、アグリアスは言葉を続けた。
「私にはルザリアの土を踏む資格がないんだよ」
 その声には明らかな翳りがさしている。自虐的な言葉に思わずムスタディオが身を乗り出すと、アグリアスはそれを目で制した。

「私が王宮の近衛騎士だったことは知っているだろう?私にここで与えられた命は、オヴェリア様をオーボンヌ修道院からガリオンヌに、無事に送り届けることだった……だが実際はどうだ?」

話には聞いている。ムスタディオがアグリアスやラムザ達と出会う前、王女オヴェリアはオーボンヌ修道院から連れ去られ、危うく命を落とす所だったのだという。やっとのことで取り戻した王女を一縷の望みを託して護送した先で起こった出来事。この後の事情にはムスタディオも深く関わっていた。
 頼みの綱のライオネル領主ドラクロワ枢機卿は、ルカヴィ(悪魔)と成り果ててムスタディオの持つ「聖石」を狙い、その結果オヴェリアの身は危険に晒されアグリアスに至っては殺される寸前であった。
 それにはムスタディオ自身にも苦い思いがある。「聖石」を廻るごたごたに彼女らを巻き込んでしまった張本人は、他でもない彼自身だった。ラムザもアグリアスも一度としてムスタディオを責めたことはないが、だからといって自分のせいで仲間達に危険を冒させてしまった自責の念は完全には消えない。
「あれは、アグリアスさんの所為じゃ…」
否定する言葉に力が入らないのをムスタディオは自覚した。それを見てアグリアスは小さくかぶりを振る。
「私の所為だとか、誰の所為だとか、そういう問題ではない。私はオヴェリア様を守りきれなかった、命を果たせなかった、それだけが事実なんだ」
確かめるように、言い聞かせるように言葉が紡がれる。
「自分を責めている、というのとは少し違う。ただ、私は自分の不甲斐無さを恥じている…今のままでは、王家に向ける顔がないと、そう思っているのだよ」
 そうして苦しそうに眉根を寄せると、秀麗な顔からは血の気が失せて行く。
 それは、「騎士」でない者には到底理解しがたい感情であったろう。少なくとも、「平民」のムスタディオにとっては「馬鹿馬鹿しい」と思われる類いの思考であった。
 彼女が一度でも誰かを傷つけ、誰かを裏切るような行為をしたというのだろうか。
『お天道様に恥ずかしくない生き方をしている自信があるならば、どんな時でも胸を張っていればいい』脳裏をよぎる、明るい気性だった亡き母に教わった言葉は、いまもなおムスタディオ自身の生き方を強く肯定してくれる支えの一つであった。
 …アグリアスは何も間違ったことをしていない。力無き王女を守る為に身体を張って戦っていただけだ。誰を傷つけた訳でもましてや裏切った訳でもない。むしろその逆だった。幾度も幾度も裏切られ、それでも戦い続けて傷だらけの心と身体を引きずっている、そんな風にさえ思えるというのに。
 間違っているとすればそれは周囲の方なのではないか…たかが政争の為に人の命を奪おうとする貴族達、国事の名の下に広がり続ける戦火。それは時代という名の狂気が生み出したものかもしれなかった。

 それでもこの人は、何の所為にも誰の所為にも決してしないのだろう。
 騎士だから?本当にそうなのだろうか。

 ムスタディオの困惑をアグリアスは見透かしたように微笑した。その瞳の色は何処までも深く透き通る。
「分からないだろう?いや分からない方が幸せなのかもしれん。お前の言うように、騎士とはなんとくだらない生き物なのだろうな」
「そんなこと!」
言葉が続かない。何も言えない。ラムザだったら、同じく騎士の家に生まれたあいつだったらどんな言葉をかけるのだろう。俺よりも上手く言えるだろうか、この人の心を軽くしてあげられるのだろうか。
(でも俺には、)
「しかし、分かっていてもそこから抜け出すことは出来ないんだよ。私は騎士だ。騎士である以上はその名誉と誇りを何よりも重んじる…だから私は王宮には戻れない。それに…」
 オヴェリア様のこともある。
 アグリアスはそう続けようとしたのだろう。だが、白い顔を苦しげに曇らせて俯いた女騎士の言葉はそこで途切れて、後は声にはならなかった。
 ひとしずく、光るものがその頬を伝う。
 涙とも汗とも判別はつかなかったが、ムスタディオにはどちらでも良かった。
 ただもう今は、小さく震えるその人の肩を、強く力任せに抱き締めてしまいたかった。けれど。
(俺には、できない…) 
それは無力な己に絶望する瞬間。唇を噛み締めるとかすかに血の味がした。

 熱を含んだ乾いた晩夏の風が、音もなく二人の間を通り抜けて行く。
 見上げれば、目眩のするような高い空。日はいまだ中天にあり、その光を遮る雲一つ、見つけることは出来ないようにムスタディオには思われた。
 その日は、長い一日になりそうな予感がした。

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