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あれから幾度目の春を迎えたことだろう。
春の気配を間近に感じ、オーランはふと窓の外に目を遣った。
「獅子戦争」が始まってはや九ヶ月。
夏、秋、冬、季節は巡り、ここゼルテニアにもようやく遅い春がやって来た。高い塔の石壁の一室でも、日毎空気が温んで行くのが分かる。明るい陽射しに目を細めると、空気までもが輝いている錯覚を覚えてしまう。
北の大地に短い祭りの季節がやって来ようとしていた。
瞬く間に過ぎ行く季節だからこそ、ゼルテニアの人々はこの上なく春を愛おしむ。オーランもまた、そんなゼルテニアで生まれ育った一人であった。
(喜んでばかりもいられないのだが)
ゼルテニア全軍の頂点、南天騎士団の誇る若き軍師は、緩む心を戒めるようにかぶりを振った。
この冬も雪が沢山降った。続く戦で家を失った凍死者や、慢性的な食料不足による餓死者は一体どれだけの数に上るのか、考えるだに恐ろしいことであった。
そして何よりも。雪融けは、それすなわちむき出しの大地に無数の馬蹄が轟く日々の再来を意味する。
イヴァリースの北部は冬の間は雪に包まれる。その為、その間の戦況は一時的に滞らざるを得ない。しかし、ひとたび緑の大地が顔を出せば、雪解け水が堰を切って流れ出すように、戦の渦が地に満ちるだろう。
ちらつく炎と黒い煙、折り重なるおびただしい数の死体と吐き気のするような死臭。父を失い、天涯孤独となったあの日の戦は、もう十年以上も昔のことになってしまったか。遠い記憶が鮮やかに蘇り、彼の心に小さくはないとげを刺す。
(また、戦が始まる。)
兵士も、無辜の民も、子供達も、沢山犠牲になるだろう。
義父、雷神シドことシドルファス=オルランドゥ伯爵率いる南天騎士団の軍師となって既に数年。そのような感情は偽善に過ぎないのだと分かってはいるつもりである。だが、何時まで経っても慣れ得ぬものは存在するのだ。軍人としてあるまじき弱さと思う反面、慣れてしまうことにはより一層の恐怖を感じるのである。
妻が夫を失い、子が親を失い、親が子を亡くす。
自分のように、そして義父のように。
慣れることなど出来ようはずもない。それは、失った者にしか分からない痛みであった。
もう一度、首を振ってオーランは思考を中断させた。
半時ほどのちに女王オヴェリアに目通る約束があった。王族の位にあるとは思えぬほど、質素な大人しい少女ではあるが、仮にも女王陛下たる方の前に部屋着では参上できない。
ちらと、ゼルテニア城内の自らの執務室を眺めやる。軍師になった頃、ゴルターナ公から拝領したさして広くもないこの部屋には、地図や軍備の書類から占星術に必要な道具や書物、自らの書き散らしたメモ、仮眠用の毛布に望遠鏡など、ありとあらゆるものが雑然と詰め込まれている。机の上には煩雑に広げられた書類の山。この何日かの激務を思い出し、疲れが押し寄せてくる。
黒獅子の紋章をあしらった絹のマントを発掘するのは、なかなかに大変な作業になりそうであった。
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羊皮紙に落ちた白い光が、薄暗い室内に慣れ切った瞳に眩しい。
ゼルテニア城の一角、広々とした殺風景な執務室で、南天騎士団に所属する騎士団の一つ「黒羊騎士団」の団長の地位にある青年ディリータ=ハイラルは、やや物憂げな面持ちでその執務机に向かっていた。
一人になると余計なことばかり考えてしまう。昼間から酒を飲むわけにもいかぬし、さて、と埒もないことを考えているうちに、季節特有の強い風が小さく開けられた窓から吹き込み、机の上の書類を巻き上げて散らかしてしまった。
それらを拾い上げようと腰を浮かして、ふいに「感傷に浸っていた」自身の姿に気付き、ディリータは苦笑した。
(柄じゃないな)
紙束を広い机の上に無造作に投げ出して、もたれかかるように椅子に戻って小さくため息をつく。自分の心の弱さを自覚するのはあまり気持ちの良いものではなかった。
若すぎる騎士団長は、丁寧に撫で付けた黒髪を必要もないのにかきあげて、中途で投げ出していた公務に無理矢理意識を向けた。椅子に座り直して幾つかの仕事を片付け始める。もっとも公務といっても、黒羊騎士団はかつて壊滅寸前まで追い込まれ、いまや有名無実の騎士団と化しており、その仕事は皆無に近かったのだが。
国土を覆う戦乱のさなか、女王即位の立て役者としてささやかな英雄物語の主人公となりおおせていたディリータは、ゼルテニア城内に黒羊騎士団団長としての公務を行う執務室と自らの私室を与えられており、そのゼルテニアでの日々のほとんどをそれら二つの部屋の往復で過ごしていた。
当年二十歳のこの若い騎士は、ダークブラウンの瞳と、やや濃いめの同じ色の髪を持つ涼し気な容貌の青年である。際立った美形という訳ではないが、歳に似合わぬ堂々たる態度と鋭く光る野心家の瞳が、凡庸たる美形という形容から彼を程遠いものにしていた。
実際にディリータは美形としては凡庸であったとしても、騎士としての実績は凡庸を遥かに通り越し、他を凌駕して余りあった。誘拐されたオヴェリア王女救出に始まる輝かしい手柄の数々はゼルテニアではいまや知らぬ者はない。
ゼルテニアの若い婦人達はその瞳を野心を秘めた魅惑的な瞳と賛美し、その台頭に眉をひそめる者達は野心渦巻く危険な瞳と評していたが、数においては前者が圧倒的多数を占めていたことだろう。
多分、後者が正しいのさ。副官からその話を聞いた時、話題の野心家はそううそぶいた。ゼルテニア軍内におけるディリータの急激な台頭も、王女オヴェリアの即位も、全ては「グレバドス教会」と「教皇」が奏でる「陰謀」という曲に合わせてディリータが自ら手足を動かした結果だからである。だが、彼自身は教会の演奏に最終楽章まで付き合う気はさらさらなかった。
彼には彼の思惑があり、誰にとっての幸か不幸か、それは貴族達のそれとも教会のそれとも全く異なっていたのである。
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