ゼルテニアの長い一日

◇3◇

 石造りの堅牢なゼルテニア城の中でも、最も南に位置する尖塔の中に女王オヴェリアの居室はあった。
 さらに南の丘に面する窓からは、五十年戦争の際に焼け落ち、朽ち果て瓦礫となったグレバドス教会の跡が望める。訪れる者もなくただ時の流れるに従い荒れるままの場所だったのだが、今は、即位後間もない女王が時折足を向け、戦没者たちに大して静かな祈りを捧げているとの噂もあった。

 さて、その尖塔の一室、優美飾られた貴族趣味の豪奢な部屋に、全イヴァリースを統治するアトカーシャ王朝第十八代君主オヴェリア・アトカーシャはいささかの居心地の悪さと憂欝感を絶妙に混ぜ合わせた表情で座っていた。
 広い部屋では、侍女たちがいつもと同じ午後のお茶の用意をしたところだった。白磁の茶器をオヴェリアに手渡そうとした侍女の一人が、若い女王の可憐な姿に我知らずため息をつく。
 南向きの窓から差し込む陽光を鈍く帯びた金髪がようやく開きかけた百合の蕾のようなオヴェリアの頬を覆っていた。身に纏う白絹のドレスは、申し訳程度に裾に刺繍が施されているだけ、背中に垂らしたゆるく編んだ左右の三つ編みにも装飾品の類が何一つ見られない。
 修道院時代と何ら変わらぬ、華美や豪奢といった形容とはおおよそ無縁のその装いは、衣装係の侍女たちが頭を悩ませるほど質素なものであった。

 紅茶の湯気と焼きたての菓子の甘い香りが漂う中、女たちはそれぞれ思い思いの会話に花を咲かせていた。しかし、その部屋の主人オヴェリアの顔だけが依然浮かないままであった。
 隠棲の王女の立場から一転、運命に翻弄されるままに女王となってまだ日が浅い。広すぎる部屋にも豪華すぎる部屋にも気後れが隠せない。ましてやその両方では、とても落ち着くことなど出来そうになかった。
 また、オヴェリア自身もともと言葉少ない性質であり、他人の陰口や噂話にもさして興味を示さないので、初めは色々と質問を投げかけてきた侍女たちも今はすっかり主人を差し置いて各々の会話に夢中であった。「世間知らずの子供には何を言ってもつまらない」と言った風情である。そんな、軽蔑とも嘲弄とも取れる侍女たちの態度を見るにつけ、お茶の時間はオヴェリアを憂欝にする。
 そして何より、ある種の「後ろめたさ」がオヴェリアの心を一層重たくする要因であった。
(わたしは本来こんな場所にいられる人間ではないのに)
 黄銅色の髪と同じ色の睫毛に飾られた青い瞳は、手にした茶器を見つめたまま凍りついたように動かなくなっていた。
 微かに揺れる水面に思うことは常に一つ。努めて考えないようにしながらも、片時たりとも忘れることの出来ない事実が重くのしかかる。
≪おまえは死んだ王女の身代わりの娘≫
 外界に出れば要らぬ争いを産むことになる存在だからと、必死で自分を押し殺し、孤独に耐え続けた日々。王家の血を継ぐ者の責務として、ただ万民の平和にのみ祈りを捧げたあの日々。全ては幻に消えてしまった。後に残されたのは、本当の名前さえ分からない、運命に翻弄され続ける哀れな少女。

 信じることも出来ず、否定することも出来ず、耳を塞ぐことすら出来ず、オヴェリアはただ流されるままに此処にいた。考えることに疲れていた。何も考えたくなかった。

 あの日以来、オヴェリアの心のどこかは壊れたままで、自らの足で歩くことすら満足に出来そうにない気がする。こうして座っていても、心此処にあらずといった感じで妙な浮揚感に支配され続けてているのである。

 その日幾度目かの溜め息は、発した本人が驚くほどに大きなものだった。思わず現実に引き戻されて、オヴェリアは息を呑む。
 午後の穏やかな時間、若い女王の手にした白磁の茶器にはまだ、半ばまで琥珀色の液体が残っていた。それがすっかり冷め切っていることに気付き、また溜め息が零れた。
 眼前では、若い侍女たちがおろおろと色を失っている。なにか気に障ることでもあったかと、必死の形相であった。そんな彼女らの振る舞いがオヴェリアに溜め息をいつも漏らさせることになっているのだが、誰もそんなことには気付かない。
 一人年嵩の侍女長が、慇懃に顔色を伺いながら問いかけた。
「陛下、何か不都合でもございましたでしょうか」
「……なんでもないの、すこし考え事をしていただけ」
 軽く首を振り、無理に笑顔を作った。そうでもしないと、女王の機嫌を損ねたかどで、また侍女が一人辞めることになる。新しい侍女の顔と名前を覚えるのはもう沢山だった。
「ですが、」
 なおも問いつめようとする侍女長を手の平で遮って、オヴェリアは天鵞絨張りの椅子から立ち上がった。その拍子に白磁のカップが皿に触れて、かちゃんと耳障りな音を立てる。
「陛下」
「オーラン卿と面会の約束がありました。少し早いけれど呼んでくれますか」
 そういって、それ以上の追求を避けるように侍女たちに背を向ける。
 どうやらオーランに迷惑をかけることになるが、甘えさせてもらおう。
 かの青年の、軍人とは思えぬほどの人の良さをオヴェリアは思い出していた。

 皺だらけのマント発掘を成し遂げた途端に女王陛下からお呼びがかかり、オーランは途方に暮れた。約束よりも四半時以上も早い。さしもの南天きっての知将も、女心もなんとやら、不測の事態に対処し損ねて頭を抱えてしまう。仕方なく、部下の一人を呼びつけ、否応無しにマントを剥いだ。軍師のそれとは多少しつらえが異なるが、南天騎士団のものには違いない。
 良心がちくと痛んだが、部下の非難の声は敢えて無視しておくことにした。
「苦情は後で聞くよ」
 投げ捨てて颯爽と部屋を後にする。恨めしそうな視線をその背に感じながら。

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