◇5◇
挨拶もそこそこに追い立てられるように部屋をでて、オーランは襲いかかる無力感に打ちのめされていた。
去り際のオヴェリアの痛々しい笑顔が瞳に焼き付いている。
彼が慰めようと言葉をかければかけるほど若い女王の顔はこわばるばかりであった。
(あの方は、玉座には向いておられない…いや)
浮かび上がった思いを必死でかき消す。
今はたとえ傀儡の王であろうとも、時が経てば自覚も生まれ、自らの足で立つことが出来るようになるのでは、そう思って仕えてきたのだが。自分のそんな気持ちも彼女にとっては迷惑に過ぎないのかもしれない。
一度誓った忠誠を覆す気はない。だが、このままでいいのだろうか。何か他に方法はなかったのか。
薄暗い空中回廊を一人歩きながらオーランは自らに問いを投げかけ続けた。
たどり着く結論は一つしかない。オヴェリアは王位には向かず、さりとて僅か五歳のオリナス王子にその才覚を見いだすことは不可能に近いとすれば。イヴァリースには、君主になるべき人物が存在しない。…まだまだ戦は続くだろう。統べるべき王のいない国家には火種が尽きることはないのだ。
そうしてたどり着いた結論には、背筋に氷を沿わせたような感覚を覚えずにはいられなかった。例え軍師という立場にあろうとも、戦を疎む気持ちに変わりはない。
そこまで考えたところで、視界の端に二つの人影が入ってきた。
明かりを背にしてゆっくりとこちらへ歩いてくる。
(あれは…)
やや長めの黒っぽい髪を丁寧に撫で付けた、長身の若い騎士とそれに影のように従う、こちらもやはりうら若き女性。どちらもオーランの記憶にある顔だった。
黒羊騎士団団長ディリータ・ハイラル、そしてその腹心の女魔道士。
ここ数か月の間にゴルターナ公の下、異例ともいえる早さで出世を遂げた若き将軍である。オーラン自身もその軍部での地位を考えれば充分若いのだが、ディリータは彼よりさらに七、八歳は若かった。
先の王女オヴェリア誘拐事件で、王女を誘拐犯たちから無事救出した手並みといい、実力の方も折り紙付きで、今やゼルテニア城で彼の名を知らぬ者はいない。
先だっては、敵に取りいろうと王女の誘拐を企んだ大臣をゴルターナ公以下、重臣たちの目前で一刀の下に切り捨ててみせた。オーランもその場に居合わせ、ディリータの覇気に圧倒された記憶がある。その際のディリータの進言によってゴルターナ公は上洛を決意し、獅子戦争の引き金を引くことになった。
当然ながら、その急進派的な行動はオーランやシドにとっては苦々しいものであったが。
ともあれ兵士たちの間では、いずれは雷神シドに匹敵する武勲をあげ南天騎士団の団長の座も約束されたようなもの、ともっぱらの噂になっていた。部下たちに対しては、そういう噂を軽々しく口にするなとたしなめる立場にあったオーランだが、彼らの気持ちも理解できなくもない。
戦が続き、疲労と倦怠、焦燥の空気が蔓延する軍の中で、現状を打破し勝利を味方にもたらしてくれる「英雄」の存在が求められるのは、ごく自然な流れであると思う。英雄など、負け戦の時ほど特に必要とされるものさ、そう自嘲気味に呟いた義父の顔は忘れられない。
考えてみればディリータ・ハイラルは出来すぎなほど「英雄」になる素質を備えているようにオーランには思えた。
二十歳そこそことは思えぬ堂々たる態度とよく鍛えられた身体、それに涼しげな容貌に数々の武勲。理想的な騎士の姿といっても良い。彼にその剣を捧げられたら、と願う貴婦人の数は星の数ほどだとか、いささか誇張が過ぎるにせよその人気はなかなかのものだった。
《でも》
若い娘たちは決まって残念そうに口を揃える。
《あの方の心には既にただ一人の方が棲んでいらっしゃる》
(其は此の空中回廊の向こうに住まう、いと高き場所に座する至高の御方)
噂に過ぎぬとはいえ、こうして女王の部屋に通うところを見れば信じざるをえないか。我ながら下世話な想像だとオーランは内心苦笑した。
両者の距離が次第に縮まると、張り詰めた空気に自然と身が引き締まる。視線が交錯し、先に口を開いたのはディリータだった。
「今日の講義はおすみか」
よく通る、伸びやかな声だった。
「ええ、陛下は夕食の時間におなりですが」
「成程、では失礼する」
言って、目礼をしてオーランの前を通り過ぎる。後に従う女魔道士が、無言のままちらと視線をよこした。
やがて回廊の足音が途絶えると、遠ざかる双影をあっけに取られて見送ったオーランが一人残された。
何とも形容のしがたい気分であった。南天騎士団全軍の軍師、いうなれば上官にあたるといえなくもないオーランにも全く臆することないその態度…
(っていうか、なんであんなに偉そうなんだ)
どうにも胸に引っ掛かるものがあった。別に、上官らしく扱われなかったのが悔しかったからじゃないぞ、と誰にともなく弁解してみる。
ディリータ・ハイラル。いつのまにやら南天騎士団屈指の将軍となりおおせたその手並み。グレバドス教会、教皇フューネラルの強い後押しがあったというが。
記録には、彼が副団長として就任してまもなく、黒羊騎士団は盗賊団との戦いで団長以下多数の死者を出し、壊滅状態に陥ったとある。その時何故か、ただ一人別行動をしていた彼だけが難を逃れた。…彼だけが。そして、空いた団長の座は自然と埋まることになる。
(…都合が良すぎるな)
オーランは形の良い顎に手をやった。
(異例の出世を遂げる弱冠二十歳の騎士。その背後にちらつく教会の黒い影…)
異端者として、教会に追われていた一人の青年の姿が脳裏に浮かぶ。彼は決して手配書にあるような無残な殺人を犯すような人物ではなかった。むしろその自らの正義を貫こうとする迷いのない瞳に強く引き付けられたことを覚えている。
教会は邪魔者を合法的に抹殺するために「異端者」の罪を青年、ラムザ・ベオルブに着せたのだ。
オーランの知る限り、ラムザは暗躍する教会権力と自らの正義をかけて戦っていた。教会の真の目的が何であるのか今のオーランに知るすべもないが、高らかに謳われるイヴァリースの平和や、理想郷の実現といった類のものではないことだけは確かであった。
(でなければ何故、貴族の子弟一人を追うためだけに、ああまで大袈裟なことをしでかすだろう)
《証拠があれば戦いをやめてくれるのか?》
最後に彼と会ったのは王都ルザリアの北、グローグの丘。冷たい雨の中、真摯な眼差しが胸を灼いた。孤独な闘いを強いられてきた苦悩が痛いほど伝わってきた。手を貸そうと誓った、それなのに。
オーランの情報網をもってしても、教会の目的は依然不明のままであった。あの日の誓いを果たすためにも、教会の目的を暴き、その不正を正すための証拠が何よりも欲しい。かの黒髪の騎士の存在はその証拠を手に入れる、意外な手掛かりとなりうるかもしれなかった。
すっかり日が落ちて、あちこちに灯された獣脂のランプの光の中をゆっくりと歩みながら、オーランの思考は軍師としてのそれに変わっていった。
こうして一旦脳細胞が目まぐるしく働き始めると、彼の性癖としてもう他のことは頭に入らない。
部下の苦情も上の空、一晩中思索にふけるであろうことは疑いようもなかった。
空中回廊をすっかり渡り切ったところで、前を行くディリータが大袈裟に肩をすくめて見せた。
「どうも、あの軍師殿には嫌われているらしいな」
冗談混じりに後ろをぴったりと歩いてきたバルマウフラを見遣る。
「と、言うよりずいぶん面食らっていたみたいね。気持ちは分かるけれど」
オーランの義父、雷神シドは和平派の主要人物であり、ディリータは主戦派の急先鋒である。好感情を持たれる理由が存在しない。
「出来れば敵に回したくないんだがな」
「そう?そんな大物には見えないわよ…悪いけど」
「そう思うか?そうかそうか…」
バルマウフラは率直に言っただけなのだが、どうやらディリータの笑いのつぼを刺激したらしく、引きつれた笑いを必死で堪えている風だった。
「雷神シドの息子というだけでは、あの若さで南天騎士団全軍の軍師にはなれないさ。逸材だと俺は思うがね」
特技は内偵、情報収集だというし、と付け加える。
「でも無欲な人ね。自分は決して表舞台には立とうとしないもの」
「参謀ってのはそういうものだろう」
ちろりとバルマウフラをねめつける。
一体何が言いたいのか、問い正す言葉をぐっと飲み込んでただ口に出した言葉は、そうでしょうけど、だった。
「ふくれるなよ。あいつの力は利用しがいがあると、そう思っているだけだ」
「利用……何のために?」
「勿論、《計画》のためさ」
ディリータの言葉には不透明な部分が多い。それに都合上、いちいち噛み付かねばならないのは、バルマウフラには苦痛であった。ディリータはそんな様子を楽しんでいるようだったが、そこが余計に腹が立つ。心の中で舌を突きだして、出された餌に噛みついてやる。
「計画…ね。それは誰のための計画なのかしら?」
「俺たちの、さ」
「………」
巧妙に主語がぼかされている。
(いけ好かない男!)
蹴り飛ばしてやりたい衝動を必死で押さえて冷静さを装った。こういうやりとりは熱くなった方が負けるものである。先刻からかったのを根に持っているのかとも一寸思ったが、確かめる気にはならなかった。
「どっちにしろ先の話だ。今は、麗しの女王陛下の御機嫌伺いに参上仕ることとしよう」
ディリータがごくまっとうな提案をした。バルマウフラも心から賛同したい気分だった。二人の冷戦は一時凍結されることになったようである。
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